穴から這い出た地底人が、山を見ている。
それは、3年ぶりの景色だった。
2023年、正月の朝。
いつものように目覚めて、水を飲むために布団から起き上がった。スマホを見る。1月1日。そうだ、お正月なんだった。部屋を見回す。
いつもと何も変わらない朝。お正月なんだから、せめて部屋に赤い花でも飾ろうか。庭に咲いている椿の花。この前Amazonで買った緑の小さい花瓶に活けたら、たぶん、ちょっとはお正月気分を味わえるはず。
裸足にスニーカーをひっかけて、一歩外に出る。
振り向くと、そこに、山があった。
私は山ぎわに住んでいる。
だからそれはずっと近くあったはずなのに、今朝は見たことないくらい、すぐそこに迫って見えた。
もこもことした木の1本1本、葉の1枚1枚が、太陽を浴びようと細胞をうごめかす姿さえ、感じるようだ。
見惚れて立ちすくむ私の頬を、ひんやりとした風が撫でていく。朝の太陽が眩しい。
空気が美味しい。朝日が気持ちいい。山のざわめく音に、心が洗われていくみたいだ。
もうしばらくここに住んでいるのに、それは、とても久しぶりの感覚に思えた。
私はきっと長い間、こんなにも近くにあるものから目を背けて生きてきたのだ。
洞窟で暮らす地底人のように、小さな世界に閉じこもっていた私の心。
それは今、ようやく、3年ぶりに地上へ出て太陽を浴びた。
そして、目の前にそびえる山を見たのだった。
荒野を彷徨う、根無し草
かつて「山」という場所は、私にとってとても居心地の良いところだった。
山に近づき、足を踏み入れることには危険がつきものだ。怪我、遭難、空腹、凍えること。
だからこそ、その世界に入るためには、身軽でなくてはいけない。
身軽であればあるほど、背中に何も背負ってはいないほど、その場所へ踏み出すことは怖くなくなる。
仕事も家もない。最悪、死んだってそんなには困らない。
アルプスの深い山にひとりで登るときも、バックパックひとつ背負ってヨーロッパの荒野を歩くときも、ずっとそうだった。
「ひとりでこんな場所に来るなんて、勇気があるね」旅の中で出会う人からそう言われる度、私は少し誇らしかった。
けれど、それは誇るようなことでもなんでもない。
ただ、失うものなんて何も持っていないから、怖くなかっただけ。
20代の私は、居場所を持たずあてどなく彷徨う、根無し草のようだった。
土に根を下ろす
それから私は変化した。
3年前、27歳の時。コロナ禍の影響で海外への旅に出られなくなったことをきっかけに「自分の居場所」が欲しくなった。
私は仕事に精を出し、家具を揃え、掃除をし、キッチンで食事を作るようになった。
「私はここにいたい」と思う環境を、たくさんの失敗を重ねながらも、自分の手で選んでいった。
そのうち、そうやって作り上げた自分の居場所が、大好きでたまらなくなった。
自分の声を待っていてくれる人がいる、ラジオの仕事。自分で選んで住み始めた熊野の土地。自分で選んだ家具に囲まれた部屋、ワクワクしながら考える毎日のごはん。
私には、守りたいものができた。
簡単に命を失うわけにはいかない理由ができた。
根無し草はついに、土へと根を下ろしたのだった。
根無し草、地下洞窟にひきこもる
居場所があるという、何物にも代えがたい幸福。
けれどそれは同時に、これまでの身軽さを失うことでもあった。
もし無茶をして怪我をして、仕事ができなくなったら?
収入を失い、ここに住み続けられなくなったら?
無謀かもしれない挑戦に踏み出そうとする度に、いろんな不安が胸を渦巻く。
失うものがあるとは、こんなにも怖いことなのか。
このままではいけないと分かっている。新しい場所に踏み出すことを止めれば、自分の世界はどんどん狭くなる。
いくら土に根を下ろしても、太陽の光と風を浴びなければ、いずれ内側から腐ってしまう。
そう分かっていても、怖い。怖くてたまらない。踏み出したくない。このままでいい。
無謀な挑戦や背伸びは、やめにしよう。
安全なこと、確実なことだけをやろう。
ようやく土に根を下ろした根無し草の私は、いつの間にやら洞窟にひきこもる地底人になっていた。
「もし挑戦しなかったら、お前は内側から腐って死ぬぞ」
私には、毎年のお正月の習慣と定めていることがある。
それは、真夜中の山をスタートして、2つの峠を越え、熊野本宮大社という神社を目指す修行だ。
正直、怖くて怖くて仕方なかった。
自分で決めたことでありながら、今年はやめてしまおうかとよぎった。
もし、怪我をしたら?
遭難したら?
そんなことになるくらいなら、やめておいたほうが良いに決まってる。
出発前日の大晦日になっても、装備を準備する手はなかなか進まない。
それでも「行くのをやめる」とは決められなかった。
心の中のどこかが、もしかしたら根無し草だった頃の私が、必死でそれを止めていた。
「もし挑戦しなかったら、お前は内側から腐って死ぬぞ」
自分自身からそう言われている気がした。
穴から這い出す時が来た
出発当日、お正月の朝。
地底人は、久しぶりに山を見た。そして気が付いた。
穴から這い出す時が来たんだ。
それは、今までのような根無し草に戻ることとは違う。
木々が地に根を張り、同時に空に向かって枝を伸ばすことに似ている。
この場所で、守りたいものを守ったままで、新しい自分に手を伸ばす。
それが、今の私に与えられた、新たな課題。
だから私はもう一度「山」に行こうと思う。
それはちょっと無謀かもしれない。もちろん怖い。
それでも「絶対にここに戻ってくる」と決めて、行く。
守りたいものを守り続けるために、私は変化を続けたい。
地底人は穴から這い出し、3年ぶりに外の空気を吸った。
空に手を伸ばして深呼吸。
外の空気は冷たくて、眩しくて、ちょっと心細い。
でも、なんだかとても気持ちがいい。
変化していくこの世界で、これからどんな自分になろうか。
新たな成長の予感。
そんな2023年のはじまりです。
* * *
熊野古道大雲・小雲取越えは、このあと深夜にスタートします。
無事に戻ってきたら、またツイートします!!
長い文章をここまで読んでくださった方、ありがとう。
相変わらずの、迷い悩みながらのゆっくりとした歩みですが、見守ってくださる皆様に心から感謝申し上げます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします!!!
Photo by : ムギちゃん(@mugichoco.pg)