「ここまで来れたよ。ようやく。」
そう心の中で呟きながら、最難関の桜峠を駆け上る。
息を切らし、ぼたぼた溢れてくる涙も拭わず、一歩ずつ石畳の階段を踏みしめる。
左右に元気よく茂るシダの葉が、身体に触れて揺れる。
一歩ごとに、嬉しそうに、ワサワサと。
「おっきくなったな、おまえ。」
そう言ってくれているような気がした。
ーーー
あけましておめでとうございます。
今年も、行ってきました。
名付けて、熊野古道・大雲小雲取越 初詣チャレンジ!
ゴールは熊野本宮大社への初詣。
1/1、年明け直後の真夜中に那智をスタートして、その日の日没(神社の閉門)までに参拝するというものです。もちろん、一人です。
いやー!!今年もキツかったぁ〜!!
詳しい行程はこんな感じ。
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2:30 那智高原公園をスタート、暗闇の大雲取越え
7:30 越前峠付近で初日の出を迎える
9:30 小口集落で小休憩
10:30 小雲取越えアタック開始
15:30 請川集落へ到着、舗装道を歩く
16:30 熊野本宮大社へ到着、初詣
川湯温泉に宿泊し、翌日バスで速玉大社、那智大社へ参拝
那智大社〜那智高原公園は徒歩30分
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スタートは、熊野那智大社の裏手にある那智高原。
舟見峠、石倉峠、越前峠、百間ぐらといくつもの峠を越えて、歩き続けること14時間、35km。
往復標高差は、登り約2300m、下り約2500m。
なんとか、閉門の17時にギリギリ間に合うようなかたちで初詣チャレンジを完遂することができました。
ーーー
「なぜそんなことを?」
「いったい、何のために?」
この旅について報告すると、大抵の人に聞かれるセリフです。
頼むから、そんなこと聞かないでいただきたい。
なぜって?
自分でもなぜこんなことしてるのか、よく分かんないからだよ!
それでも、このブログを昔から読んでくださっている方には、説明せずとも伝わる気もしております。
しかし、そんな丸投げで甘えているわけにもいかない気がして、達成の興奮冷めやらぬまま筆を取りました。
長いですが最後までお付き合いください。
ーーー
そもそも、私がこの大雲小雲初詣チャレンジをはじめたのは4年前。
きっかけは、サンティアゴ巡礼北の道の頃から、装備や身体のメンテに関して、また何より人生について色々相談させてもらってきた師匠のSさんからの一言だった。
彼は、当時、世間様に一切馴染めず社会の片隅でうらぶれて路頭に迷っていた私に「ラジオの仕事してみれば?」と鶴の一声をくれた人でもある。
この人がいなければ、今頃私はその辺の道端でのたれ死んでいただろう。容易に想像がつく。
そんな信頼する恩人からの一言であった。
「ラジオパーソナリティのオーディション受けてみたら?」と言ったあの時と同じ、お告げのようにどこか神懸かった調子で、彼は突如こう言い放った。
「今年の正月、一晩で大雲小雲をやってみたら?」
「え?あ、ハイ。やってみます」
二つ返事であった。
四の五の言う隙間も「嫌です」と断る選択肢も私には思い浮かばなかった。
ま、この人が言うんだし、とりあえずやってみよーっと。そんな感じだった。
一晩で?正月に?熊野古道を?ひとりで???
よく考えると「何を言ってるんだこのストイック妖怪め!」って感じなのだけれど、Sさんのこういうひらめきにはなにかものすごい力があり、有無を言わせない力がある。
ーーー
それから1ヶ月ほど、装備や行程の相談に乗ってもらいながら、入念に準備を進めていった。
そうして私は、2021年の大晦日、初めて、真冬の真夜中の熊野古道に1人踏み出した。
初めての年のチャレンジは、熊野地域では珍しく数年に一度しかない大雪の夜であった。
しんしんと雪が降り積もっていく中を、ただひとり、ヘッドライトの灯りだけを頼りに進む。
絶え間なく降り注ぐ雪の粒が光を反射して、前が見えない。
ヘッドライトの光が届く半径数メートルを残して、他の世界はいっさい消え失せてしまったような不思議な感覚。
暗闇と雪で前は全然見えないのに、なぜか、ほとんど恐怖はなかった。
代わりに、何か大きなものに守られているような、導かれているような、妙な確信と安心感があったことを覚えている。
思い込みだと言われればそれまでだし、実際はクマだってそのほかの危険とされる野生生物だってしっかりと生息している山域である。
それでも。
毎年、真夜中の熊野古道を歩く度に、その不思議な安心を、私は感じている。
私はそれを感じたくて、歩いているのかもしれない。
ーーー
そんなこんなで、Sさんの鶴の一声で始まった、恒例となりつつあるこの大雲小雲初詣チャレンジ。
この旅は、私にとって一年間の自分の成長を測るバロメーターでもある。
毎年歩く度に、自分の成長した部分を実感する。
また同時に、新たな課題も発見できる。
そんな意味でもこのチャレンジは、毎年、私にとってかけがえのない時間になりつつある。
ーーー
自分で言うのもなんだが、今年の私の成長は、目覚ましかった。
これまでだと、大抵途中でSさんに
「疲れましたがなんとかやっています。もう嫌です。やめたいです。うそです。がんばります。ウッス」みたいな甘ったれた内容のLINEを逐一送っていた。
つまりこれまでの私は、自分の意思で決めて旅立ったと言いつつも、どこか義務感を覚えながら、この旅をしていたのである。
もしもこの先で動けなくなってリタイアしたら、責任持って迎えにきてもらおうなどと小狡いことを、頭の片隅で考えながら。
今年も例に漏れず、途中までは弱気だった。
いや、正直今年は、スタートの時点でかなり弱気だった。
「今年は無理はしない。途中で一回山を降りて集落に出るから、最悪、キツかったらそこでリタイアして”無理でした、ごめんなさい”ってバスに乗ってもいい。だって、無理してケガや病気して、仕事に穴を開けたくないもん」
仕事を言い訳に使う卑怯ぶりである。
ーーー
これは、私の長年の悪い癖。
やりたいことや目指したい目標があったとき、始める前から”逃げ道”を作っておくのである。
そうして、いざ少しでも困難に直面したら「ほらね。思ったとおりだ。しょうがないよね。諦めよう」などと言って、途中で投げ出し遁走する。
恥ずかしながら白状すると、私は、30近くになるまでずっとずっとずっとずっと、こうして逃げ道を作り続ける人生を生きてきた。
こうしてビシバシしごいてくれるSさんをはじめ、あらゆる人生の恩人たちのおかげで、私はその悪癖を初めて自覚し、この数年間、乗り越えようとしてきた。
しかし、ここぞと言うときに、その弱っちぃ自分が顔を出すのである。
ーーー
今回も、そんな逃げの自分は現れた。
真っ暗闇の熊野古道。
苔むした石畳の確かさと深い林が風にざわめく音、白く清らかな星の光は、変わらず私を、包み込むような安心感でもって出迎えてくれた。
3回目ともなると、慣れ親しんだ道。
「楽しく歩こう。散歩をするような気分で。余裕を持とう。」
そんな心持ちで、歩みを進めていた。
聞こえはいいけれど、それにはどこか、逃げの気持ちが含まれていた。
1つ目の大雲取越までは、なんとかなった。
しかし、夜が明けて、2つ目の小雲取越を前にした時、そのどこか甘えた心持ちはもはや通用しなかった。
ーーリタイアの判断をするならここしかない。
でも、ここでリタイアするほどにはまだ弱ってはいない。疲れてはいるがまだやれる。
とはいえ、ここから先はこの道のりで一番の急登が続く区間。
行くのなら、本気で挑まなければ無理だ。
「余力を残して、楽しくお散歩気分で」などと言ってはいられない。
進むか、やめるか。
これまでなんとか2回、同じ行程を踏破してきた自分にとって、やめるという選択肢はあり得なかった。過去の自分に負けたくなんてない。私は逃げ癖があるくせに意味わからんとこだけ負けず嫌いなのだ。
すでに二つの大きな峠を越えて、疲れが目立つ足は重い。この前からどうも調子がおかしい左膝の裏もちょっと痛んできた。前半のんびりしすぎたせいで、タイムも前回より1時間ほど遅れている。
桜峠への急な上りの階段を前にして、私の心は折れかけていた。
進まなくてはいけないと、分かっている。でも、力が出ない……。どうしよう。
ーーー
ザックを足元に下ろし、石畳の階段の2段目に座り込んで、スマホを取り出した。
師匠に、例の「疲れましたがなんとかやっています。もう嫌です。やめたいです。うそです。がんばります。ウッス」LINEをポチポチ打ち込み始めたのである。
完全な甘え。
「ここまでがんばってえらいね、あとちょっとふんばれ」そんな言葉を期待してのことだった。
そう言ってもらわないと、力が出ない、そう思ったのだった。
しかし、送信してすぐに、強烈な違和感がこみあげてきた。
違う。
違う!!!!
これじゃあ前までの私と同じじゃないか。
私が彼に言いたいのは、こんなことじゃない。
既読はまだついてない。すぐに送信を取り消した。
じゃあ、なんだ?
私が本当に、伝えたいことは…。
ーーー
石畳に座り込んだまま、私はおもむろに、バックパックからガサガサと食料袋をとりだした。
そして、食べた。とにかく食べまくった。
りんごのクリームが挟まった、甘い菓子パン「ヤキリンゴ」を2口でがっついた。
チョコがかかったビスケットも、一気に3枚ほおばり、スポーツドリンクで流し込んだ。
さいごに、ポケットから那智黒飴を3粒取り出し、全部同時に口に放り込んだ。
そうして、さっきからずっとサイズが合わなくて妙に動きづらい、5年前に買ったパッツパツのズボンを脱ぎ捨て、数日前に買ったばかりの真新しいレインパンツに着替えた。
ゆるんだ靴紐を、結びなおす。
太陽の光を浴びて、ふぅーっと大きく息をつく。
力が沸いてくると同時に、こんな言葉が、自分の奥から湧いてきた。
「私は、人の心に明かりを灯す女、たまゆり!
こんなところで燃え尽きていられるか!」
ーーー
昨日、一年の終わりに、私は2025年の抱負をInstagramに書いた。
「みんなの笑顔ある暮らしが来年も続きますように。そして、その暮らしに小さな明かりを灯すのが、私の声であったら嬉しい」と。
不意に、その言葉を思い出したのだった。
そうだ。
私は、人の心に、明かりを灯せるような女になりたいのだ!!!!
だったら
こんなところで、へたって甘えて諦めてる場合じゃないだろ?
胸の奥底から、ものすごいエネルギーと共に湧き上がってきた言葉。
くすぐったくも、照れ臭くもあり、それでいてどうしようもなく嬉しかった。
それは、自分の中にあった手付かずの燃料のデッドストックに、一気に火がついたような瞬間だった。
そうだ、これだ!これなんだ!!
私がするべきことは。私がしたいことは!
もう一度深呼吸してから、大きく一歩前へ踏み出した。
ストックをついた両腕にぐっと体重を乗せて、重くなった両足を大きく前へ持ち上げる。
全身を使って、食らいつくように急な石の階段を登っていく。
心の底から急に、爆発的に湧き出したエネルギーで、胸がいっぱいになってどうしようもなかった。
それを推進力に変えながら、息を切らして、全力で、峠のてっぺんへ向かって駆け上がる。
私は嬉しさに涙ぐんでいた。
ーーー
この旅に出る数日前、Instagramを通じて、ある男の子が私に連絡をくれた。
東京の大学4年生、Gくん。
なんでも、今年の2月にカミーノ・デ・サンティアゴを歩いたばかり。
そのときに、私のブログを大いに参考にしてくれたらしい。
カミーノに関する卒論を書いているので、話を聞かせて欲しいとのことで、私は嬉しさいっぱいで快諾。
オンラインで話す場をとった。
Gくんは顔を合わせるなり「心底、たまゆりさんのファンなんです。ずっとブログを読んでいました。僕が旅立つきっかけをくれた人なんです。だから、今日を本当に楽しみにしていました」そう語ってくれた。
めっっっっっちゃくちゃ嬉しかった。
1時間半ほどいろんな話をした。
彼は大いに悩んでもいた。
「みんながカミーノを歩いたらいいのに、って思うんです。カミーノの道の上で出会った優しさ、人の良い意味での生き物としての本質のようなもの、それをどうやったら、日常や、身の回りの世界にも持ち帰れるんでしょうか?」
「どうして、あの時みたいに優しいだけじゃ生きられないんだろう」と。
10年前、かつて同じ道を歩いたあの時の私も、同じような疑問を持ち、同じように悩んでいた。
「私はこのカミーノで得た魔法を、どうやったら日常に持ち帰れるのだろうか?」
私は、カミーノを歩いて救われた。
だからこそ、あのときに出会った良いものを、あの旅の中のありのままの自分を、もう一度暮らしの中で体現したかった。
その方法を探して、失敗と回り道と挫折を繰り返しながら、それでもどうしてもあの世界にたどり着きたくて、もがくようにして生きてきたように思う。
ーーー
「どうしたら、優しい人が優しいままで生き続けられる世界にできるだろうか?」
その問いの答えを探して、もがいてもがいて、なんとか進んできた道。
いくつもの仕事を転々とし、違う、これは何かが違うと思いながら、辞めては旅に出ることを繰り返した。
いろんな仕事をして、いろんな土地を旅して、いろんな人に出会い、すがり助けを求めながら、考え続けた。
そして、ラジオパーソナリティというありがたい仕事に就き、カミーノと同じく私を救ってくれた熊野の土地に移住して、こうしてこの道を歩いている、今。
10年越しに、はっきりその答えを見つけたような気がした。
小さくてもいい。ほんのちょっとでもいい。
私が精一杯日々を生きて、もがきながら道を探して、歩んで、その歩みが声になり、言葉になり、優しい誰かに届いて、火を灯せたらいい。
暗闇に灯るろうそくのように。
夜の森を照らすヘッドライトの明かりのように。
暗い海の道なき航海に、道標をもたらす灯台のように。
もらった愛と命を使って、私はその仕事をしてゆくのだ。
それが私の矜持。譲れない信念。
かつては自信がなかった。だから胸を張って言えなかった。
でも今は違う。
私が、私の意思で、私の力で、あの時に見た、作りたかった世界を作っていくんだ。
これでみんなをしあわせにするんだ。
それが、自信を持った言葉として自分の奥底から湧き出てきたことが、本当に嬉しかった。
ーーー
この10年間、私はGくんと同じように、大いに悩み、何度も諦めかけた。
「無理なのかもしれない。こんな私にできることなんて何もないかもしれない。
諦めようか。生きるのやめちゃおっか。もう疲れた。疲れた……でも……あきらめたくない……どうしたらいいんだ。誰か教えてくれ。」
そんな気持ちで、私はあのとき日々を生き、道を探し、ブログを書いていた。
世界に向かって、めいっぱい手を伸ばしていた。
その手を、掴んでくれた人がいた。
恩人のSさんはじめ、たくさんの仲間たち、お世話になった人たち。
あの時伸ばした手を、つかんでもらった。
だから今の私がいる。
私は今、そうしてもらってきた恩を、ようやく次世代の誰かに送り返そうとしているのかもしれない。
ーーー
私が初めて熊野古道を歩いたのも、10年前。
あの時、道の美しさに息を切らし、ここへ来られた幸福に「こんな幸せは私にはもったいないほどだ」と、涙を流しながらこの道を歩いていた。
今はもう、この幸せを身に余るとは思わない。
私にはもったいないだなんて、二度と言わない。
だって、私はいただいたこの幸せなエネルギー、全てを使って、人の心に明かりを灯すという仕事をしていく。そう決めたのだから。
私にならきっとできると、信じて、預けてくれた力だ。
全力で使う。
無駄にするもんか。
たくさんの人の愛が私を走らせる。
決して、無駄にするもんか。
私は、人の心に明かりを灯す女、たまゆり。
燃え尽きたりしない。
歩こう。全力で。
燃やそう、いただいたこの命を。
ーーー
最後の難関、桜峠へ向かう急坂には、豊かなシダの林が元気よく茂っている。
ここを初めて歩いた10年前と同じ。違うのは季節だけ。
あの時は春で、まだ生まれたての新芽、ぜんまいがたくさん顔を出していた。
今の季節は、成長して大きく硬くなった葉が、ワサワサと暑苦しいほどに道の左右を埋め尽くす。
「ここまで来れたよ。ようやく。」
そう心の中で呟きながら、息を切らし、ぼたぼた溢れてくる涙も拭わず、一歩ずつ石畳の階段を踏みしめる。
元気よく茂るシダの葉が、体に優しく当たっては、揺れる。
一歩ごとに、どこか嬉しそうに、ワサワサと。
「おっきくなったな、おまえ。」
そう言ってくれているような気がした。
* * *
死ぬほど長くなってしまいました。
最後まで読んでいただいた奇特な方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いします。