20代の人生の悩み

大事なひとがいるということ。

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大事なひとがいる、ということがどういうことなのか、ずっとわからない人生を送って来た。

両親や兄弟っていう家族はそりゃ、大事だったけど。
それは生まれた時から与えられたものであって、自分でつくってきたものではなかった。

友達が一体なんなのかわからなかった。
例えば何をするでもなく一緒にいたり、たまに出かけたり、愚痴ったり、相談をしたりされたり、ケンカしたり仲直りしたり。

そういう友達がずっといなかった。
いや、いたのかもしれないけれど、表面的に付き合っていただけで、本当の弱みとか、コンプレックスとか、そういうのはさらけ出せないでいた。

友達でも恋人でも一人の人と長く付き合うことができなかった。少しでも嫌われたりつまらないと思われたり必要ないと思われたり、あるいは必要ないという気がしたらすぐに自分から関係を絶ったり、していた。

それが、色々を経て最近は、ようやく変わってきた気がする。

今の私には大事なひとたちがいる。
いるんですよ、どうしましょう。

気軽に連絡して、夜中になんでもない話を電話でするとか、いきなり明日あいてる?飲みに行くか!ってなるとか、あれやってみたいんだけどやろう!ついてきて!とか、仕事で困ってるんだけど相談させて、とか。
あるいはたまにお酒が入ったり夜中のテンションだったりで、おまえのこういう所が好きなんだよなぁ!と告白したりとか、ダメ出ししたりされたりとか。

あれをしたい、これをしたい、ここが好き。あるいは、あれはしたくない、これはヤダ、そういうところが嫌い、を口に出して言ったりとか。

なんでもないこと。
なんでもないことなんだけど、そういうことを言えるひとが、今の自分の周りにちゃんといることが、この上なくすばらしく、貴重で、うれしいことに思える。

そんな風になったのはここ一年くらいのことだから、つまり私は人間関係構築に関してまだぴよぴよの一年生なんである。成長したな、私!

弱みや自分のだらしなさをさらけ出すのは怖い。すごくもなんともないダサい自分を受け入れてもらえるのか不安。
逆に熱い夢を語りすぎて引かれるのも怖い。やりたいことがありすぎて空回りでヒートアップする私についていけないと思われるのも、これまた怖い。

だけど、それでも受け止めてくれるひとがいる。いたんだなぁ、この世には。

たまに嫌になったり、めんどくなったり、相手の嫌な部分が見えたりして距離を置きたくなったり。
だけどそれでもやっぱり好きなんだよなぁって、全然そんなの目ぇつぶれるなって、たぶん、お互いに思ってる。

今日もうまくいえないが、そんな大事なひとたちがいること、大事にしていきたいと思えるひとたちがいることが、本当にしあわせだよなぁと思うのです。

なにぶん人間関係構築科ぴよぴよの一年生だから、迷惑かけまくってる部分がたくさんあるんだろーけどなー笑

死ぬときに持っていけるのはたぶん、ものでもお金でもなく、そういうひとたちとのあったかみのある記憶なのだろうな。

そんなことを思う幸多き日々です。

* * *

前に、思いつきではじめて以来ぜんぜんさわっていなかったnoteからの記事。

今年のはじめ、1月に書いたものだけど、改めて、そこから9ヶ月も経った今、私はまたこの場所から歩いてきたんだなぁという感じがする。

変化の多い人生。

多すぎかもしれない人生。

それは前までの私にとって、自由であることとは裏腹に、根無し草みたいに、落ち着ける居場所がなく彷徨う、という意味をはらんでいたけれど。

今はそれがぐるりと大きく変わってきた。

変化の多い人生、であることに変わりはないかもしれない。

実際、私の内面はこの半年間でめちゃくちゃ変わった。

居場所を変えなくても、自分自身が変化していける、進化していける場所。

そんなところを私は見つけたのかもしれないなと思う。

変化を恐れない。

失うことも、怖いけど、それでも恐れない。

大事なものを大事にする。

嫌いなことには嫌だという。

なんか、そんな一歩ずつのつみかさねで、この2018年の後半も、ちょっとずつ先へ、変化しながら歩んでいけたらいいなと思います。

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