前回の滝レポート記事のつづき。
序章|蜂に刺されて、何かが起きた
和歌山の秘境中の秘境にある「筆籔の滝」「部屋滝」へ行ったら、険しく深い山道でハチに尻を思い切り刺されました。
痛いし痒いし、場所が場所すぎて情けない…そんな気持ちもありつつ。
しかし私の中には、不思議な生命力のようなものが湧き出してきたのです。
これは、ハチに刺されたら、慢性的な希死念慮を燃やし尽くすほどの何かが目覚めてしまった話です。
いつにも増してカオスな内容になっています。
また、かなり死についてのセンシティブな話を含む内容となっていますので、ご注意いただいた上で
よければお付き合いください。
第1章|生命スイッチ、オン。

ハチに生まれて初めて刺されて、いま、私の体はものすごくびっくりしているだろう。
「ひーーっっなんだこれーーっ!!!!!知らん物質(ハチ毒)尻から注入されたんだけどぉ!!!本気出して戦わなきゃーっ!!!!」って。
これって、すごいことだと思う。
ハチに刺される前の私と、ハチに初めて刺されてからの私の体は、見えない部分でも大きく変化しているはずだ。
性格まで変わりそうで、上手く言えないけど、ワクワクしてしまっている自分がいる。
実はこのごろ、うっすらと30代半ばの老いによる鈍重さを感じていたところだ。
東洋医学の本場・中国にはハチ毒療法を専門とした医師がいたり、美容大国・韓国にはハチ毒成分を配合したアンチエイジング美容液が存在していたりするらしい。
まるで再起動スイッチを押されたみたいな感じ?
これでビビビッと生命力に火がついて、若さが目覚めないかなあ、なんて思った。
第2章|「生きてる」って、こういうこと?

今回の滝行では、ハチに刺されただけではなく、さまざまな非日常に出くわした。
道なき崖の滑落しそうな道を、沢の中を、巨大な岩を登って蜘蛛の巣にまみれてドロドロになって進んだ。息は切れ、汗が目に染みて、お腹はペコペコ。もし足を滑らせれば、私はこのまま野生動物の餌となり朽ち果てるかもしれない。
そんな状況が、今この瞬間の地続きに違和感なくある。死が間近に存在する世界にいた。
その瞬間、私は、どうしようもなく「生きてるー!」って思っちゃった。
正直、自分でも変なんじゃないかと思う。
ただの死にたがりの裏返しなのか?明るくアクティブに病んでるだけなのか?とか。
多分、日常生活が平和すぎて、飢えていた。
便利で安心で快適な毎日に飼い慣らされて、倦んでいた。
退屈なのかもしれない。死が遠すぎる現代社会が。
そんなふうに思う自分は変だとも思うけれど。
ハチに刺されて、痛かったけど、気持ちよかったのよ。
第3章|ニンゲンの私、ケモノの私

生き物っていうのは本来、現代のニンゲンみたいにおりこうさんじゃないはずだ。
遠慮も忖度もルールもマナーも習慣もない。もっと意味がわからないものだ。本能と直感で、走り、転び、跳ね起き、飢え、むさぼり、罵り、恐れ、怒る。そんなふうに、命って、爆発してるもんじゃん。
そんなケモノみたいな自分が、蜂に尻を刺されて目覚めた感じがしたの。
でもね。
そのくせ、今いるエアコンガンガンの部屋、洗濯したての真っ白でふわふわのシーツ、髪からはシャンプーの香りがしてサラサラ。
こんな状態も愛してるの。安心、安全、快適、最高。だって、ニンゲンだもの。

ケモノとニンゲン。
たまに、その両極端な自分に引き裂かれそうになる。どうしていいかわからない。
これって私だけだろうか?
否、多かれ少なかれ、誰もが感じる葛藤と矛盾なのではないか。
そんな歪みを少しでも晴らすために、私は滝に出かけてバランスを取っているのかもしれない。

私はいったい、どこへ向かおうとしているのだろう?
ニンゲンであることからわざと遠ざかって、生命の危機に自らを晒し、ケモノに近づくことを欲する。
それは確かに快感だ。
しかしその殻を破った自分は、他人から見たら化け物になってしまうのではないか?
戻れなくなるのではないか?

「現代の安全圏」の中で、ちゃんとしていたい自分。
でもそこから飛び出したい、壊したいって叫んでいる自分。
私はどっちかを捨てられない。
迷いながら、振り子みたいに揺れながら、対極のそれらへの憧れを、同時に抱えながら生きている。
生きるの下手すぎるだろって思う。だっていろいろと無駄が多すぎる。
どちらかを迷わず選べる人のことが、私は羨ましくて仕方ない。
そんな人、本当はいないのかもしれないけど。
第4章|死にたがりの理由

人間社会にはなじみきれず、かといって自然の中で生きていくにはあまりに弱い。
みにくいアヒルの子みたいに、どっちにも馴染みきれない自分をずっと責めてきた。
どっちも選べない。どちらにも居場所がない。引き裂かれそうだった。
ならばニンゲンかケモノ、私のどちらか半分を殺して生きるか、そうでなきゃ全て殺して死ぬしかないと思ってた。
両方を生かす術なんてありはしないし、仮にあったとして、そんなことは社会から、世界から許されてもないと思ってた。

今回も、崖を歩きながら「うわぁ私このまま死ぬのかなぁ」ってよぎったとき、「まあそれでもいいか」って思ったの。
思えばだいたいいつもそんな感じだった。
たまたま死んでないから生きてしまってるだけ。
本当はこんなこと書いたらとても良くないのかもしれないけれど、本音をぶちまけてしまうと、けっこうずっとそう思ってた。生きる理由が見つからないから、それを探して旅をしていた。
「死にたい」という言葉は、自分を守るための盾だったんだ。
いつでも死に逃げ込めるように、それが自分を守る最後の安息の砦であるようにと。
「どうしようもなく辛かったら、死んでいいからね」っていうのは、救いの言葉であり、自分のためのお守りだったのだ。
第5章|貪欲に生きるプログラム

でも今、ハチに刺されてじんじんと熱を持って痛むお尻を感じる。
毒に打ち勝とうと、ひとつひとつの細胞が貪欲に蠢いている。私を生かそうと、あえぎながら歯を食いしばっている。こんなにも、一生懸命に。
死にたがりなんてウソなのかも。
私、本当はすごく生きたいのかもしれないな。
私の細胞が、血小板が、赤血球が、髄液が、内蔵は、こんなにも一生懸命だ。
ならば私のマインドも、醜くても生き延びようと、鼻の穴膨らませて歯ぁ食いしばってふんばろうとする、そんな風に在れたらいい。
自我が自分を守るために、システムに組み込んでいた希死念慮。
バグみたいなもの。もう今の私には必要ないはずだ。
なら、新しく書き換えるか。
“そんなに辛いなら、もう死んでもいいよ”じゃなく
“そんなに辛くても、歯食いしばってそのままで生きていていいよ”って、 私は私に言ってあげたいなあ、これからは。
第6章|山行は現実逃避か?

ここまでこの記事を書いた後に、ふと思い立って、芥川賞をとった小説「バリ山行」を読んだ。
「バリ山行」のバリとは、バリエーションルートのこと。道なき道を切り開き山を歩く登山が描かれている。
あっという間に読み終えてしまった。ここまで書いてきた自分の葛藤と、同じすぎて笑ってしまった。
「山は遊びですよ。遊びで死んだら意味ないじゃないですか!本物の危機は山じゃないですよ。街ですよ!生活ですよ。妻鹿さんはそれから逃げてるだけじゃないですか!」
(本文より抜粋)
主人公のセリフは私の胸にもグサリと刺さった。
結局私のしてることは、ただの現実逃避なんだろうか?

熊野に引っ越してからうっすら思うようになった。 今までの登山や歩き旅って、なんだったんだろうと。
10年近く山をやって、真冬の北アルプスをピッケル持って歩いたり、スペインを1800km歩いたりしたけれど。
熊野で出会った山のおじいちゃんほど、真に自然そのものと身一つで対峙している人は、これまでの私の人生にいなかった。

家のすぐ裏手、深く入り組んだ紀伊山地の一部に暇さえあれば入り込む。手にはノコギリとトラロープとピンクテープ。
自分で道を探し、切り開きながら進んでいくおじいちゃん。
そのあとについて、見知らぬシダの藪をこぎ、降り積もる落ち葉を足で踏み、人知れぬ滝や、彼しかその存在を知らない巨木の群生を見せてもらった時。
これまでのわたしは偽物だったのかもしれないって思ったの。
すでに誰かが綺麗に踏みならしたところで自然を感じた気になっていたのかもしれない。
終章|街と山へ、伸ばす両の手

私にはまだあのおじいちゃんみたいに、道なき道を自分で切り拓くような勇気はない。
でも、今よりもっともっと本物の荒野に踏み込みたいと、もっと強くなりたいと願っている。
そして、私は同時にそのすべてを、だれかひとりとでも分かち合いたいと思っている。
だれかひとりとでも分かち合うために、ネットで、YouTubeで、SNSで、公共放送で、わたしここにいます!!!と叫んでいる。

空に手を伸ばすように、名古屋という都会の公共電波でタレントじみた活動をする。
深い地底に手を伸ばすように、紀伊山地の深い沢の奥地へ入り込む。
深い穴に手を伸ばしながら、同時に反対の手を遠く空に伸ばす。両方、全力でやりたい。体が半分に千切れそうなくらい、手を伸ばしたい。
それらが繋がればいいと思う。それってめちゃくちゃ高い理想で、一生かけても叶うようなもんじゃないのかもしれないけど。
それでも、その理想の途上にいたい。
いるはずなんだ。そう願っている限り。

矛盾だらけで、はちゃめちゃな自分。
わかんないけど、このまんまいけるところまでいってみようって思いました。
だから、ハチさん、ありがとうございました。
以上です。
おまけ:ハチに刺されたらどうする?
といいつつ、フィールドで次回以降刺されたらとても危ないので、対策が必要です。
(アナフィラキシー症状により呼吸困難や意識を失う人もいるとか)
近いうちに病院を受診して、その症状を緩和する「エピペン」という注射剤を処方してもらえないか聞きに行ってみようと思います。
あとは、真っ黒なタイツを履いて黒光りする尻を晒しながら山道を歩かないこと。
もっと明るめの色の水着を買い直しました。

失敗しながら少しずつ知っていくことばかり。
滝愛好家の世界にはものすごい人たちがいて、憧れる。
まだまだ目指したい何かがあるのはとてもうれしいことだ!
いつにもまして意味不明な記事ですみません。
たまゆりでした!