真夜中、色んなニュース記事やコラムを読んで考えていました。
経済の低迷も、政治の迷走も似通っている日本とイタリアで、いったいどこが違うんだろうって。
以下は私の考えたことです。
幼稚かも知れないしとても浅はかかも知れません。そのときは軽く読み流してやってください。
「イタリア人はいつも陽気で笑っている」
約1ヶ月フィレンツェに住んでみて、まったくそんなことはないと思いました。
郵便局やお役所に行くと、みんな疲れた顔で働いている。
例えばスーパーのレジの人だって、愛想よく元気な人に当たることはまれです。
なんというか「ダルそう」という言葉がぴったり。
日本人はそれを表に出さないけれど、イタリアだとお客様は神様主義ではないぶん余計に露骨なのかもしれません。
働くことにストレスを感じている。これは日本とまったく変わりません。
(すべての人がとは言いません。それに社会に出て働いたこともない私が言うにはいささか経験も思慮深さも足りないのは分かっています)
気楽で能天気といわれるイタリア人にも、そのストレスは不況下でさらに重く苦しくのしかかっているのが分かります。
でも、日本と違うのは、それでも人生を楽しむのを忘れていないこと。
生きることの喜びを忘れていないんです。
週末になると誰もがレストランに出かけ、もしくは家に友達や家族を招き、おいしい料理を食べ、おいしいお酒を飲み、たくさん笑い語り合う。
もう、一週間の仕事のストレスなんて跡形もなく一気にふっとんじゃうくらいに。
イタリア人は、疲労はしているけど、けっして絶望はしていない。不幸だとは思っていないんです。
少し話が外れますが…
私は、「生きる喜び」って人とのつながりによって生まれるものだと思います。
ここにきて、見知らぬ土地でしばらく過ごしてそう実感しました。
大好きなイタリアに住んでいたって、友達が出来ずに一人だったら全然楽しくなかったもの。
友達がいるから、綺麗な景色もおいしい料理も楽しめるんです。そしてそんな友達との出来事を話せる家族がいるから楽しい。
どんな素敵なものを見ても共有できる人がいないとさみしい。
「人生はどこに行くかではなく誰と行くかだ」という言葉を何かの本で読んだけれど、私は本当にその通りだと思います。
そんな心安らげる友達と、あったかな家族をイタリアの人はきっとみんな持ってる。
どんな辛い場所に、不景気で暗い国に生きていたって幸せを感じられる。大好きな人たちと一緒だから。
そして日本には、それを失ってしまっている人たちがたくさん溢れています。
人と人のつながりが薄くなって、心がつめたくなっているように見える。
そこが、今の私には、とても大きな違いのように思いました。
もちろんこれが本当に正しいことだとは思いません。
もっと複雑で私には想像もつかない色んな理由がそこにはあるんだろうと思います。
けれどこうして自分なりに、未熟な頭でも考えることは自分自身にとってとても大切なことだと思うから、この場を借りて書かせていただきました。
さらに数ヵ月後の自分は、まったく違う考えでこの記事を読むかもしれませんね。
ちょっぴり恥ずかしい(笑)
それでは、今日は2時から約束があるので、いい加減にベッドに入りたいと思います。
おやすみなさい。