中山道

晩秋に色づく十三の峠を越えて【中山道歩き3日目・細久手〜大井】

20201126
中山道歩き3日目

細久手宿~大湫宿~恵那駅(大井宿)
歩行距離:26.08km

 

朝、寒さに震えながら起きて、部屋に置いてもらっている灯油ストーブをオンにする。

ストーブの前に張り付くみたいにしながら、寝間着を脱いで、いつものサポートタイツを履く。

 

このタイツを履くと、下半身と一緒にキュッと心まで引き締まって、昨日の疲れが残っていても、多少寝不足でも「さあ今日も歩かないとな」という気持ちにさせられます。

実際、かなりこのタイツに足を怪我や痛めることから保護してもらっていると思うのだけれど、それ以上に私にとってはこの精神的効果が大きくて、こうして歩く旅をするときにはほぼ必ず、なんだかんだ4年も愛用しています。

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夕食と同じテーブルに、私だけのためにわざわざ用意してもらっていた朝食は、やっぱり今日もすごく美味しい。

とろりときれいに半熟で作られた煮卵には、しっかりと味が染み込んでいて、1日、数日前から仕込んでくださったのだというのが伝わって。

味がひじょうにおいしいのはもちろん、それだけでものすごく元気が出るような気がしました。

本当にこのお宿に泊まってよかった。

とてもお世話になったお宿のご主人と、お料理を作ってくださった奥様に、玄関まで見送ってもらって、あさ7時半、細久手宿をあとにしたのでした。

 

 

細久手宿の集落を出ると、木立に包まれたアスファルトのワインディングロードがしばらく続きます。

これを書いている今、季節はもうすっかり冬になってしまったけれど、11月下旬のこのころはまだ木々に色づいた葉っぱが残っていて、それが洗いたてみたいに澄んだ朝の空気と、新鮮な太陽の光に照らされてきらきらと光っている様子はとてもきれいでした。

 

普段、ねぼすけの私は、こんな時でもないと早起きして外を歩いたりしない。

でも、私が普段知らないだけで、きっと自然の中では毎日こんな風に神聖なくらいの美しい景色が、季節ごと変わりなく営まれているんだろうなと思うと、なんだかもったいないことをしているような気持ちになってしまう。

 

しばらく歩くと、真ん中に弁財天の祠がある、なんだか神秘的な佇まいの池が現れました。

標高400mほどの位置にあるこの池、江戸時代のころから、旅人にとって貴重な水場だったようです。

池のわきには紅葉の木がいくつもあって、大量の落ち葉が池の水に沈んで、凪いだ水面は青い空を映して、その色の微妙な濃淡とグラデーションがとても綺麗でした。

 

ずっと車も人もいない、山中のアスファルト道の上を、紅葉を楽しみながらてくてく歩く。

たまに、牧場や養鶏場があって、中からは鶏の声が聞こえてくる。

今通っているここ瑞浪市は、畜産がさかんな土地柄。

さっき朝食でいただいた卵は、もしかするとこのあたりでとれたものだったのかもしれません。そりゃ、おいしいわけだ。

 

少しひらけた土地に、田んぼと数軒の民家が建つ小さな集落でひとやすみすると、そこから道は、石畳の山道へと入っていきます。

このあたりは、長距離にわたって往時の石畳が残っており、そのすばらしさは日本国内の旧道のなかでも指折りといわれています。

よく整備された石畳の道は、やはり徒歩の人間にはゆるやかな階段のようでとても登りやすい。

峠のてっぺんには、皇女和宮の歌碑もたてられていました。

「住み馴れし 都路出でて

けふいくひ

いそぐとつらき 東路のたび」

 

石畳の峠を越えてまたしばらく歩くと、宿場町の風情を色濃く残す山間の集落、大湫宿に到着しました。

ここには、宿泊施設などはないのですが、観光客向けの小さな案内所があります。

そこの職員の方のお話によると、この先の十三峠は熊の出没情報が多いとのこと。

「大声で歌でも歌っていきんさい」と言われて、おもわず笑ったものの、すこしビビる。

 

ここ大湫宿の大湫神明社には、2020年春頃の水害で倒れ、全国的にもニュースになった、樹齢1300年の大杉がありました。

人間が目一杯手を広げても、10人分くらいはあるんじゃないかという太さの幹。

これだけ大きな木が倒れながらも、周辺の家屋に被害はなく、一人も怪我をしなかったということで、当時は話題にもなりました。

大きくえぐられた地面がいまもそのままになっていて、1300年も生きた命の重みとそれがなくなって空いた穴を感じ、なんとも言葉にできない気持ちになる。

案内所の方のお話によると、今は挿し木で根付いた、子供にあたる木が大切に育てられているそうです。

 

大湫宿から先は、先ほども出てきた通り、十三峠と呼ばれる数多くの峠を越えるアップダウンの激しい道へと入っていきます。

途中、野生動物を介した感染症防止のために撒かれた石灰のそばに、熊のものとみられる足跡をハッキリと見つけて、かなりびびる。

大湫宿で教えてもらった通り、誰もいないのをいいことに、しばし大声で歌いながら歩きました。

 

落ち葉で埋め尽くされた道はサクサクと歩きやすく、お天気も暖かく、昨日からの疲れと熊へのびびりはあるものの、気持ちよく歩いていきます。

途中、一里塚の横にちょうどいい塩梅の石が置かれていて、おもわず寝そべって一休み。

秋の真っ青な空にいろんな形の雲が浮かんでいて、とても気持ちがいい。

 

そんなふうに何度も休憩を入れながら、十三峠の名前の通りいくつもいくつも山を登って降りてをくりかえすと、見晴らしのいい高台の公園へと出てきました。

眼下には恵那の街並みと、目の前にはどっしりとした山容の恵那山がそびえています。

 

人気のほとんどない山道を歩いてきて、こうして大きな街を目にした時の感激はひとしお。

「ひ、人里だー!!」という孤独感からの解放と「これで無事に着けるぞー!!!」という安心感。

江戸時代にこの十三峠を越えた人々も、きっと同じように感じたんじゃないかな。

 

歩いている最中、少しだれてくると「疲れた、早く終わらないかな」「早く着かないかな」なんて思ってしまうこともある歩き旅。

でも、いざ終わりかとなると妙に名残惜しい気持ちにもなってしまうのが不思議な歩き旅。

このまま山を降りて恵那駅についてしまうのがなんだかもったいなくて、街並みを見下ろしながら、宿で持たせてもらったおにぎりをかじってひとやすみしたのでした。

 

そうしてたどり着いた恵那の町。

ここには、大井宿という、中山道沿いでもかなり大規模だった宿場町の跡が残っていて、歌川広重の美術館などもあります。

大井宿も時間が許せば散策しようかなと思っていたのですが、時間というよりも、体がすっかりへとへとになっていて、その気力なし(笑)

自宅へ戻る電車の本数が限られていることもあり、大井宿の散策はまた次回にまわして、家路へと着くことにしました。

 

次回は、恵那駅を朝にスタートし、大井~中津川~落合~馬籠~妻籠宿で1泊。

翌日妻籠~三留野~野尻~須原宿と、12日の行程で歩く予定です。

 

本来なら、今週歩く予定をしていたのですが、寒波で岐阜の山間部の天候が荒れているので、次週に持ち越し。

この先、冬の時期の中山道歩きは山深い土地に分け入ることもあり、雪の具合をよく見て計画をしたほうがよさそうです。

 

場合によっては、春になるまでは山深いエリアを避け、まだ歩いていない京都から自宅間を埋めるように歩くのもいいかもしれないなと思索中です。

中山道沿いでも古い景観を残す宿場町として人気の高い、馬籠宿や妻籠宿。

 

冬の木曽路と聞くだけで寒さに震え上がりそうですが、これまた風情ある旅を楽しめそうです。

天候の変化と防寒にはしっかり気をつけて、次回も楽しんで来たいと思います!

それではまた!

次回へ続く。

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