中山道

歩く旅とは、単調な糸を編むようなもの。【中山道歩き4日目前編・大井〜馬籠】

今回からGPSと高度と時間を記録しています。参考までに。

 

2020年12月23日
中山道歩き4日目

恵那駅〜大井宿〜中津川宿〜落合宿〜馬籠宿〜大妻籠(泊)
歩行距離:27.96km

 

吐き出した息が真っ白で、そのまま凍ってしまいそうなほど冷たい。

まだ真っ暗な街を自転車で駆けて、電車に乗り込む。
昨日はちょうど冬至だった。一年で一番夜が長い季節。

もうすぐ朝の6時になるというのにまだ空は完全に真っ暗だ。ちゃんと夜に眠って起きたはずなのに、まだ夜なんて不思議。止まった時間の中に閉じ込められたみたいだ。
夜行列車に乗って旅をしているかのような気分になって、わくわくするような、だけどちょっともの寂しいような感じがした。

 

何度も電車を乗り継ぎ、周りにはそのたびに少しずつ人が増えていく。
目的地の恵那駅に着く頃には、通学の学生たちと仕事に向かう人たちのいきれで、窓はうっすら白く曇って、砂糖菓子のように雪をまぶした山の向こうから、ようやく登り始めた朝日をぼんやり透かしていた。

 

わざわざ寒いところにきてしまったなあ、こんな季節に。
一歩電車を降りて太腿を刺す空気の鋭さに、そんなことを思う。

正直なところ、こんな寒い季節に、こんな寒い場所にわざわざやってきて、しかも1日中歩かなきゃいけないなんて、ちょっと憂鬱だった。
ホームから改札へ向かうまでのほんの少しの距離を歩くだけで、身体が寒さでこわばって、動き出すのを渋っているのがわかる。

そんな自分に少しずつ勇気を注入するみたいに、キオスクで買った菜飯のおにぎりを少しずつ、少しずつかじっては飲み込んだ。

 

朝の8時。
まだうっすらとした冷たい光の中を歩き出す。

前回ここへ来たのは、11月の終わり。晩秋だというのに、よく晴れたとてもあたたかい1日だった。

あの時はわからなかったけれど、やはりもうここは、山深い国にかなり近い場所なのだなと、私の住むひらけた土地からは、けっこう遠く離れて歩いて来たのだなと思った。

 

空気が鋭く澄んでいる。
川の向こうにもうもうと立ち上る製紙工場の煙が、なおさらその冷たさを強調していた。白い朝日と山のシルエットに透けるヴェールみたいな光がとても綺麗。

露出したままの鼻先にじぶんの上唇で触れると、すごく冷たかった。

 

ここ恵那の街に残る大井宿は、中山道の全宿場町の中でもかなり規模の大きなところだったという。

広い道路の両脇に家々が並ぶ景色は、なんとなく当時の人々の往来を思い起こさせた。
昔の人も、こんな寒い中もっと薄着で歩いたんだろうか。江戸時代はいまより寒く「プチ氷河期だった」という記録も残っているくらいだから、きっと寒さはこんなもんじゃなかったろうな。

 


しばらく歩いて行くと、小さな和菓子屋さんを見つけた。
この辺りは、昔から山栗がよく取れる土地で、それを生かした菓子として「栗きんとん」が名物だ。

蒸した栗の実を細かく砕いて砂糖とともに練り上げた、シンプルだからこそ栗の風味がとてもよくわかる、素朴だけど上品な、この土地ならではのごちそう。

秋が過ぎた後で、ちょうど旬ということもあり、今日はこれで糖質補給をしようと決めていた。

恵那やこの先の中津川にはたくさんの和菓子屋さんがあって、毎年これくらいの時期にはこうしてどの店にも栗きんとんが並ぶ。
製法にも各店のこだわりがあって、味わいも違うので食べ比べるのもとても面白いと思う。

 

ピントズレズレ、すいません(笑)

 

食べようと思えば一口で飲み込んでしまえる小さなお菓子だけれど、栗の甘みや風味がぎゅっと詰まっている。ちびちびとかじりながら歩く。
飾り気がないけれど優しい味わいが、舌と体にしみる。

手も汚れないし、歩きながらの行動食にとても向いている気がします。

 


途中、すだれのようにたくさんの柿が吊られて干されている光景にも出会った。
干し柿を作っているのだろう。寒くて乾燥した空気、おいしいものができそう。にしてもすごい量だな。

延々と家々が連なる緩やかなアップダウンの道を歩き終えると、景色がぱっと開けて、中津川の街へと到着した。
太陽はすっかり高くなって来て、少し坂道を歩けば汗がふきだしてくる。朝に着込んだフリースがじっとり濡れている。

中津川宿も、当時の風情をどことなく残す街並みが続いていて、そのまま現代の商店街へと中山道が続いている。
宿場町の通りには、日本酒好きの間にもファンが多いというお酒「恵那山」の酒蔵がある。

後ろ髪をひかれつつも、酒瓶を背負ってこの先木曽路をゆくわけにもいかないので、残念ながら今回は断念した(笑)

地元でよく行く友達の居酒屋さんでも、おすすめのお酒として飲ませてもらうことの多い恵那山。きりっとして清冽ながらも華やかさがあって、まさに冬の恵那山のたたずまいを思わせるような味です。とても美味しいので、おすすめです。

お酒は残念ながら今回は飲めなかったけれど、かわりに、中山道沿いの商店街にお店を構える「チキンハウス」さんで手羽先の焼いたのをテイクアウトしていただきました。
ここでは地元産の恵那鶏を使ったいろいろなメニューをいただけます。

甘辛くてスパイシーなタレがくせになりそうな手羽先、とても美味しかった。座って食事をできるレストランも併設されているので、中山道歩きのランチにもいかがでしょうか。

 

中津川宿を越えると、道は今回の旅の最高地点・標高800m近い馬籠峠へと向かって、アップダウンを繰り返しながら、ゆるやかに高度を上げていく。

ひっそりとした落合宿にありがたく佇む生協でお菓子を買い、かじりながら歩いていくと、

石畳の道が現れて道はかなりきつい登りに。
高度をあげてきたからか、道の端にはだんだんと雪が目立つようになってきた。

太陽も少し西に傾き始め、きっと気温は下がっているのだろうけれど、きつい登りが続くからとにかく暑い。
ヒイヒイと言いながらようやくたどり着いたのは、馬籠宿。

馬籠宿は、東海地区でも屈指の景観を誇る観光地としても名高い。
山の斜面の急な勾配に沿って石畳がひかれ、その左右には、ゲストハウス、旅館、土産店、酒屋、食事処、カフェなど、多くの店が軒を連ねる。

今はコロナウイルスの影響ですっかり静かだけれど、海外からの旅行者にもとても人気の高いところ。
歩くのが好きな人たちには、この馬籠宿から次の妻籠宿までを歩くトレッキングもとても人気だ。

今回は泊まれなかったけれど、古い学校の校舎を改装した自炊式のドミトリー宿なんかもあって、そしてそんな人にもうれしい地元産の食材を買えるコープもあったりして、バックパッカー文化のある土地だと思う。

この日は、季節柄もあり、ほとんどのお店が閉まっていて、とても静かだった。
以前にも観光や、添乗員の仕事で何度か訪れたことがあったけれど、こんなに人のいない馬籠宿ははじめてだった。

時期が時期なら、同じように中山道を歩く世界中からの人たちと話ができる機会もあったのだろうなと思うと、少し残念。

しかし逆に、この風景をひとりじめできるのも貴重な経験だな。
そう思って、けっこうきつい勾配の坂道を少しずつ上がっていった。それにしても、こんな坂道の上にこれだけの街並みをつくりあげるって、けっこうな労力だ。車もない時代に、とても想像がつかない。

 


馬籠宿の街並みのおわりにある展望台から、いよいよすぐ近くに迫った恵那山がとても綺麗に見えた。

 


この先、道は山深い妻籠宿へ向かって、山道を登っていく。

最高地点の馬籠峠は、岐阜県と長野県の県境でもある。
愛知県の自宅からスタートして、いよいよ長野県に足を踏み入れることに、なんだかちょっと嬉しくなる。

電車やバスを使えばすぐに来られる場所ではあるけれど、やっぱりこうして歩くことで、頭の中の地図にはぎっしりと、土地の情報が刻まれていく。
「岐阜県」「恵那」「中津川」という地名を思い浮かべる時、いままでとは比べ物にならないほど細かくて魅力的な情報や、にっこりとあたたかくなるような思い出がそこにあるのはなんだかとてもうれしい。

 


便利な乗り物を使うのと違って、退屈な場所もショートカットすることはできない。味気のないアスファルトの道、なんてことのない住宅街、単調な国道沿いの歩道。

「楽しむのは気の持ちよう」なんて言い聞かせたって綺麗事だ。それが2時間も続いてみろ、楽しいこと見つけをしようという健気ながんばりも尽き、ただ心を無にしてただ足を左右交互に動かすだけ。

楽しくなんてないし、疲れるし、退屈だし、正直いって苦痛だ。

 


歩く旅の中で味わうことのできる美しい風景や感動する場面、楽しみというのは、単調な時間と比べて計算すれば、じつはほんのちょっとの割合なのかもしれないと思う。


だけどそれでも、やっぱり、思い返すと、退屈で単調な時間があるからこそ、風景や美味しいものやひとの優しさにはっと感動する瞬間が、時の流れの中でくっきりと際立つ。

 


まるでビーズをちりばめたブレスレットみたいに、単調で退屈な歩きの時間という「糸」がなかったら、どんなに美しいビーズもぜんぶばらばらになってしまう。

地道な糸で、それぞれの美しい瞬間を結びつけるからこそ、ひとつの旅としてじっくりと手にとって眺めた時、それは独特の深い輝きを放つんだと思う。

 

目。ちょっと死んでる(笑)

 

歩かないと分からない深い魅力があるんだよ。だから自分でもたまに、貴重な休日を使ってなにをしているんだ私は?アホみたいなことしてるなと思いつつ、やってしまうんだよ。

人間、退屈で辛かった記憶はすぐに忘れるし、そのなかでキラリと光るものばかりが残るから、また性懲りもなくでかけてしまうのかもしれない。
ワーカーホリックならぬウォーカーホリック。最高に楽しくて魅力的な世界だと思うけど、万人にはこういう旅のスタイルをおすすめはできないし理解されないのかもしれないなと思う。

カミーノ&飲み友達の山下くんのマゾヒストの靴の話を思い出すけど、やっぱりこういう旅って、多少のマゾっ気がないとやれないような気がする(笑)
いや、常々思ってたけどマゾっ気って聞こえが悪いよね、向上心と忍耐が強くて逆境に立ち向かいたいと願う誇り高き意思の持ち主、とかって言ってほしいよね(笑)

うん、何が言いたかったのかわからなくなっちゃったけど。
私が歩いて旅をするのが好きだなと思う理由は、やっぱりこういうことなんだなという気がする。

 

長くなってしまいそうなので、続きは次の記事へ。

この先、いよいよ標高を上げて、岐阜県と長野県の県境・最高地点の馬籠峠へ向かいます。
石畳の雪で滑ってさぁ大変。

 

続きはこちら。

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