さて。旅の話はまだ途中ですが、
今回泊まったお宿「大黒屋旅館」さんがとってもとってもよくって感激したので、そのことを書いておきたいと思います。
もうね、ここに泊まるためだけに中山道みんな歩いてほしい、特に一人歩き旅女子の諸君、、、ていう感じ。
山あいの細久手宿、唯一のお宿「大黒屋旅館」
今回泊まったのは、中山道の「伏見宿(岐阜県可児市)」から「大井宿(岐阜県恵那市)」を歩くまでの間にある「細久手宿」。
この細久手宿、山の中の小さな集落という感じで、いくつかの民家があるだけの寂れた雰囲気なのですが、ここにこの宿場町唯一の旅館があります。
それが「大黒屋旅館」さん。
江戸時代、まさに中山道が姫様道中だの大名行列だので大賑わいだった全盛期の頃から、旅籠として使われていた建物がほとんどそのままで残され、現在でもお宿として営業なさっているというたいへん歴史深いところなのです。
周りは観光地でもなんでもない、ほんとうに山に囲まれたただの集落なので、宿泊する人はといえば、ほぼ完全にこの中山道を歩いて通ろうとする人間のみ。
今も昔も、自分の足で歩いてきた旅人の疲れを癒した場所なんですね。
今までの歴史の中できっと何万人もの歩きびとを迎えてきたお宿は、その建物のたたずまいはもちろん、おもてなしまでもが、最高にしっくりじんわりと、身体と心に染み渡るところでした。
魅力その1 ここは江戸時代?風情ありすぎの佇まい
暮れかけた空、カラスと犬の声だけが遠くに響く、誰もいない宿場町。
とぼとぼ歩いて行った先にお宿の看板を見つけたとき、心底ほっとし、そして、その外観の佇まいのあまりの重みに思わず「フワアアアーーー!」と声をあげてしまいました。
ここまで、ほとんど人となんてすれ違わない、落ち葉を踏む自分の足音以外なにも聞こえない峠の道を、そろそろ勘弁して下さいと言いたくなるほど上って降りて上って降りて、暮れてくる空に不安な気持ちになりながら、でもきっとあと少しだと言い聞かせて歩いてきた…
そんな人間にとって、目の前にあるその建物はもう、なんていうのかな、砂漠のオアシスかのように浮かび上がって見えたのです。
宿の前にしばし立ち尽くす。
ここは江戸時代??
土間で履き物を脱いで呼び鈴を鳴らすと、宿のご主人が出迎えてくださり、さっそく館内と部屋を案内してくださいました。
建物の中は、もう時代劇そのまんまのような造り。
階段上の吹き抜けみたいになった空間と、襖で仕切られたそれぞれの部屋の周りをぐるりと四方囲むように廊下があるのが不思議。
部屋の中に入っても、なにか不思議な感じがするなと思ったら、天井がすごく低いんですよね。しかし、それが圧迫感とかそういういやな感じじゃなくて、なんだかすごく、妙に落ち着く。
新しいものにとってつけたかのように「それらしさ」「古い感じ」を醸しているのとは違う、本当に長く長く、大切に使われてきたものにだけしか宿らない「ととのった」雰囲気が、建物中に満ちていました。
魅力その2 秋の山河の幸、滋養ありすぎ至福のご飯
この日の宿泊客は、なんと私ひとり。
好きな時間でいいとおっしゃっていただけたので、食事の前にまずお風呂をいただきました。
お風呂は一般的な家庭のお風呂に近い造りでしたが、過不足なく、たっぷり張られたお湯が身体をじんわりほぐしてくれました。
そして、用意していただいた夕食、、、
これがもう、美味すぎて!!!!
旅の疲れなんてどこかへ飛んで行っちゃうくらい、どのお料理も美味しくて、手が込んでいて、滋養がたっぷりで。
柿、栗、かぼちゃにお芋、きのこに、珍しいユリネを茹でたもの。
さりげなく添えられた秋色の葉っぱは、今日歩いてきた山道で見かけたもの。
メインのお料理も、ぜいたくな川魚を、なんと2種類も!
岩魚はシンプルに塩焼き(焼き立てを出してくださいました)、鯉はお醤油とみりんの甘煮。
どれも、舌はもちろん目でも、秋の季節を存分に味わえるものばかり。
素材も、近くでとれた美味しいものを活かされているのだろうなと思う、疲れた体に栄養をたっぷり与えてくれるものばかり。
思わず、熱燗と冷酒それぞれで、2合も日本酒をいただいてしまいました!笑
お酒も、瑞浪の地酒「若葉酒造」さんのもので、きりっとしたキレのある味わいが、山の幸のおいしさを引き立てて大変においしかったです。
そして最後には、釜で炊かれたのであろう美味しいかやくごはんに、じんわり染み入るお味噌汁。
デザートには、お手製の梨のコンポート。甘さが染みる…。
ごはんがとにかく美味しすぎて止まらず、思わず2回もおかわりしてしまいました…。(写真取るのも忘れるくらいガツガツ食べてしまった笑)
もうね、ただただ至福の時間だった。。。
1日朝から歩いて歩いて歩き倒して、お風呂をいただいて、そしてこんなに美味しいごはんを食べる。
「空腹は一番のごちそうだ」っていうけれどまさにその通りで、このご飯の美味しさは、こうして歩いてこなければ決して味わえないものだったと思います。
たくさん歩いて、お風呂に浸かって、心が込もったおいしいものをいただく!
この世にこれ以上の幸せなんかない、心からそう思いました。
江戸時代の建物の中、心地いいほろ酔い気分に誘われて「昔の旅人もこんな気持ちになることがあったのかしらん」と思ったりしてみたのでした。
魅力その3 絶にして妙なるおもてなし
今回このお宿に泊まって、私がなによりも感激したこと。
建物もごはんもすばらしかったけれど、それ以上に大好きだと思ったのは、ご主人と奥様の、とても心地いい距離感のおもてなしでした。
自分が勝手に感じているだけかもしれないけれど、女ひとりでこうして歩く旅をしていると、逆に気を遣われてしまうことも多くて(笑)肩身の狭さを感じることも時折あります。
この時なんてまさに、他に宿泊の方もいない状況で、自分一人のために食事や宿泊の準備をしていただくことに、勝手にどこか申し訳なさを感じていました。
「わたし一人のために、なんだか申し訳ないです」
チェックインの際に思わずそう口にすると、ご主人は、なんのことはない、という口調で
「全然いいんですよ。うちは一人からでもお泊めする宿ですから。最近は女性のお一人の方も多いんですよ。」
「だから、遠慮しないでくつろいで、必要なときは呼んでくださいね。」
そう言ってくださったのです。
それがどんなに嬉しかったことか!
食事の時にも、遠慮して、そそくさ食べようとするかもしれない私を見越してか
「遠慮しないで、どれだけ時間をかけてもらってもいいですから。好きなだけゆっくりと召し上がっていってくださいね。」
そんな風に声をかけてくださいました。
そのあとも、私がどうも酒好きだなとわかったご主人、ごはんをいただこうとしたら「お酒はもういいんですか。」と声をかけてくださったり。
それもすごくうれしかったなぁ~。
相手がどんな人間でも、その心を読み解いて、出過ぎず引きすぎない、とても心地の良い距離感で近くにいてくれる。
欲しい情報を的確に伝えてくれて、心も伝えてくれて、そしてあとは心地の良いように放っておいてくれる。まるで自分の家にいるかのように、心までリラックスしてくつろげる場所。
ほんものの おもてなし というものに出会ったような感じがしました。
それはきっと、これまでいろんな人々を迎える長い長い歴史の中で培われてきたものなのかもしれません。
あるいは、ご主人が天性のおもてなし力の持ち主なのか?とにかくプロフェッショナル、でした。
相手がどんな人間であっても、ひとりだろうがふたりだろうがおおぜいだろうが、女だろうが男だろうが。
どんな相手にも、つかず、はなれず、心地の良い距離感で、その人が一番くつろげるように、その人がいちばんその人らしくいられるように。
私も接客の仕事をしているはしくれとして、少しでも見習いたい、自分のお客さまにそんなふうに居心地よく感じてもらえるおもてなしができるようになりたいなぁ、と思ったのでした。
そのままのシンプルな自分でいられる場所って、ここだ。
今回こうして歩いて、感じました。
ああ、きっと自分の心の故郷って、こういう場所、こういう時間のことだ、と。
地に足がついて、自分そのままでいられる場所。
自分で自分を見失って迷った時も、また自分らしい自分に帰ってこられる場所。
たくさん歩いて、知らなかったことに挑戦して、小さな冒険をして
安心して委ねられる心地の良い場所で休む。
どんなにくつろげる温泉よりも、きっと気持ちの良い時間。
その一連のことが、自分にとっては何よりのリフレッシュであり、癒しであり、原点であるのかもしれないなと。
歩く旅は、やっぱりすばらしいなぁ。
中山道、すばらしいなぁ。
世界の果てまで出かけて行かなくたって、こんな近くにあったんだ。
そんな発見をできたことが、この上なくうれしかった。
…そんなこんなで、夜は更けていったのでした。
ちなみに朝ごはんも、めちゃくちゃおいしかったです。
中山道歩き3日目に続く!