おひさしぶりです。
今年もそろそろ終わりですね。
今年に起こったいろんなことを整頓してみようと思って、このブログに久しぶりにたどりついて、検索アナリティクスとか見たら全然更新してないのにまだけっこう読んでくれてる人もいたりして。
嬉しくなったので、なにか書いてみよう!と思ってまたここにきてみました。
今日は、もう過ぎ行く秋の話をしたいと思います。

先日、秋を探しに、滋賀県の紅葉の名所、湖東三山へ行ってきました。
極彩色の世界を歩いていて、ふと気がついたことがあります。

紅葉の葉っぱは一枚一枚が左右対称で、完全にバランスのとれた世にも美しい形をしているんですね。
ギザギザの形が、5つのもあれば7つのもあれば8つのもあれば、いろいろなんだけど、ぜんぶが真ん中で折り目をつけたらピッタリ合うの。
なんだかそれがとっても不思議で。だって、どの葉っぱも手に取ると同じ形をしているんだもん!
人間の手とか足も、よーーーくじっと見ていると「どうしてこの形なんだろう?」って不思議になることがあります。
「機能美」って言葉がありますけど、やっぱり、人間の手も紅葉のギザギザも、何代も何代も生まれ変わって生きていく間に、より良く生命を謳歌できるように少しずつ変わっていったんでしょうか。

そう考えると、本当に神秘的で、極彩色の世界の中ひとり感慨にひたってしまったのでした。
そして、紅葉の葉っぱのすごいところ。もうひとつ。
葉っぱ一枚一枚が、かたちは同じなのに、ひとつとして同じ色ではないのです。

良く見ると、緑、黄色、橙、朱、紅、茶色、黒……たった一枚の葉っぱの中に、数え切れない色のグラデーションが広がっています。

全部同じに真っ赤っかに見える葉っぱも、良く見ると先の方が茶色く縮れていたり、不思議な模様が入っていたり。
黄色から濃い橙色に、綺麗なグラデーションをしている葉っぱがあったり。

なんだか、紅葉がいっぱいのお寺の境内なんかを歩いているといつも、「これって教会のステンドグラスに似てるなあ」と思います。
いや、ステンドグラスはもともと字の読めなかった人にも聖書の内容がわかるようにとつくられていたというので、違うかもしれないんだけれど…
朝や午後の光が差し込む教会に足を踏み入れた時のあの感じ、光のうつくしさをぎゅーーっと集めてつかまえた世界の中にいるみたいな感じは、ほんとうにそっくりだなぁと思います。
バルセロナにあるサグラダファミリアの中も、そういえばお寺の色とりどりの紅葉を透かした、木漏れ日の下を歩く時の感じによく似てた。

これとか、めっちゃかっこいいですよね。
意図したわけではないだろうに、自然のこのコントラスト。

春や夏には青々としていたもみじが、秋になるにつれいろんな色に染まって、寒くなれば散っていく。
教会のステンドグラスが神の光のすばらしさを表したものだとすれば、お寺のもみじはもしかすると、諸行無常を表す?天然の美しいステンドグラスなのかもしれない、なんて思いました。
本当に季節が美しいこの国に生まれてよかった!
今年もこんなに美しい紅葉が見られて幸せ。
冬も冬で楽しいことがいっぱい。お鍋はおいしいし、冬の山はきれいだし。それに、春を待つ楽しみもあります。
季節が過ぎていく時って、いつもわくわくするような、寂しいような、もったいなくって切ないような、不思議な気持ちになりますね。
ちなみに今年は、冬山登山はじめました。うふふ
自然の美しさをめいっぱい感じられる、こんなに素敵なスポーツもなかなかないと思います。
さて、来年はどんな一年になるかな。
今年も残りわずか、みなさまも素敵な毎日をお過ごしくださいね。