泣いた、すごい泣いた、とにかく泣いた。
なにがそんなに泣けたんだというくらい泣きました。
- アーティスト: 宇多田ヒカル
- 出版社/メーカー: Sony Music Labels Inc.
- 発売日: 2018/04/25
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先日iTunesで配信された宇多田ヒカルのニューシングル「Play a love song」。
サントリーのCMでも、前作の「道」や「大空で抱きしめて」にひきつづき、宇多田ヒカルさん本人が南アルプス(?)の山々を歩くという映像とともに曲が流れています。
山登りが趣味である私にとって、それはたまらない映像で、流しっぱなしのテレビからふと曲が流れてくると、思わず食い入るように見つめてしまうCMでした。
で、そんな印象的なサントリーのCMの、新しいバージョン!
曲を聞いて最初に感じたのは「雪解け」「冬の終わり」「春がやってくる!」そんなことでした。
もう桜も散って新緑が輝くこの季節ですが、山に登っていると、標高2000mとか3000mの山の上は、4月下旬になった今でもまだ分厚い雪に閉ざされているんです。
それでも、確実に、そんな厳しい山の上にも春はやってきている。
朝焼けの薔薇色に染まる雪は、下っていくにつれてシャーベットみたいにやわらかくなり、小さな水のしずくになって、それが集まって小川を作って、山の中の緑を鮮やかに萌えさせていく。
燕岳登山に行って来ましたー!冬場はロープウェイとかリフトで一気に高度を上げる山ばかりだったんですが、ここは下から5時間歩いて登るので、始めは夏の蒸し暑さなのに徐々に新芽が萌える春になり、最後は冬景色の中に立っているという、タイムトリップみたいな体験でした。美しかった! pic.twitter.com/eSdvRvdZlo
— たまゆり (@tamaoyurika) April 27, 2018
なんか、うまく言えませんが、サントリーさんの言いたいことってきっとこういうことなのではないのか、と山に登っていて感じます。
山に登ることは、同時に私たちを生かす「”水”がどこからくるのか?」を自分の足で知りにいく旅でもあるように思うのです。
雪が降り、それが春になれば溶けて、雨とともに、土にしみて、緑をはぐくみながら、川の流れへとおりていく。
水は山からやってくる。その水に生かされて生きている。
そんなことが、CMからも曲からも伝わってくるような気がする。
はじめて聴いている間は日常生活の中で感じる悩みとか不安とかそういうものとはまた別に、もっと根っこの部分の生き物としての「春のよろこび」みたいなものを、心の芯で感じるみたいな気持ちでした。
でもね(笑)
でもほんとうは、私が昨晩ボロッボロに泣いて起きたら出勤時刻15分前で目がパンッパンに腫れた状態だったくらい泣いたのは、前者の理由のほう。
なんであんなに泣けてしまったんだろうなぁ〜〜というのは、一晩経つと自分でも正直思い出し難いのですが、もう、1フレーズごとに胸がかきまわされるように熱かった。
私にはこの冬からつきあっている10こくらい年上の彼氏がいて、山にいつも一緒に登りにいくのですが、いつも心のどっかが不安でしかたなかったのです。
私は年より「大人びているね」とたまに言われることもあり、自分にどこかそういう部分があるのかもとなんとなく思う。だから彼とは一緒に居られるのかもしれない。
だけど、私の中には同時に、もうめちゃくちゃではちゃめちゃな、どうにもコントロールの効かない、3歳児みたいな手に負えない自分も同時に存在している。
普段はそれが表に出なくても、自分に余裕がなくなると、とたんにその手に負えないすっごくめんどくさい自分が現れる。
それは例えば、山に登っているときのくたびれて余裕がない時だったりする。
そういうとき私は3歳児みたいに拗ねる。
思い通りにならない、癇癪をおこして、人のせいにして、駄々をこねる。そんなことしてもどうしようもないとわかってるのに、労られたくて、心配されたくて、わざと撥ね付けたり傷つけるようなことを言ってみせたりする。
そんなのはどうしようもないとわかっていて、自分も相手も嫌な気分にさせるだけととっくに知っていて、でもそうするしか知らなくてそうしてしまう。自分でもそんな自分のことは大嫌いだ。
思えばその癖は昔からそうで、その駄々をこねる対象が、親から恋人に変わっただけのような気がする。
そして相手が「恋人」という「元他人」になったことで、話はやっかいになった。
癇癪をおこし、拗ねている自分は、相手のことを信じられなくなる。もう嫌われたに違いない、こんな面倒な女に付き合うなんてごめんだろう、私なぞといるよりも一人で気楽に山に登った方が、この人にとってどれだけ楽しいことか…きっと彼は今そう思っているに違いない。そう心で決めつけ、さらに頑なに閉じていく。
相手が切っても切れない家族ではなく、切ろうとすればたぶんいつでも切れてしまう、恋人という元他人だからこそ、そんな疑心暗鬼におちいるのかもしれない。
でも、だからこそ、その相手が恋人だからこそ、私はこの自分のダメなところを、乗り越えたいとそう思った。ちょっと本気で思った。
振り向いて欲しくて自分にも相手にも態度や言葉の刃を向けるなんてもういやだ。そんな関係はいやだ。
もっとまっすぐに意思を伝えられる自分になりたい、彼を信じ、信じてもらえる関係を築ける自分になりたい、そう願った。
彼に出会い、一緒に過ごしたことで、たぶん人生で初めて願った。
きっと今まで私が見ないで生きてきた課題に、今まさに向き合おうとしてるんだと思った。
そんなおりに聴いたのが、くだんの宇多田ヒカル「Play a love song」。
それはまさに今書いてきた私の「乗り越えたい私の弱さと醜さ」を正面から強く抱きしめられてしまうような曲だった。
長い冬が終わる瞬間
笑顔で迎えたいから
意地張っても寒いだけさ
悲しい話はもうたくさん
好きだって言わせてくれよ
Can we play a love song?
「私は弱い、だけどそれは別に恥ずかしいことじゃない」
活動休止前の宇多田ヒカルが発表した「Show me love (not a dream)」の歌詞で、私が今でも度々思い出すフレーズです。
この「Show me love (not a dream)」が、もしかしたら自分の心の奥の冬眠穴で弱い自分をそっと抱きしめる詩だとしたなら、今回の「Play a love song」は、そんな自分を、今度は違う誰かに抱きしめてもらいにゆく詩だと思ったのです。
たぶんそれは、冬が終わるみたいに。
私は弱い、私は醜い、どうしようもない。だけど、愛されたい。
抱きしめられたい、離さないでほしい。
「Hold me tight and don’t let go」(私を強く抱きしめて、どこにも行かないで)
曲の中でなんども繰り返されるこのフレーズは、殻の底のちっちゃい弱っちいむき出しの自分が、まさに願っていることだと思った。
きっと私の癇癪は、この「Hold me tight and don’t let go」を怖くてうまく言えないところに原因があって、だから私は、それを少しずつちゃんと言葉にしていこうと思う。
それが多分弱い自分を乗り越える第一歩だ。
悲しい話はもうたくさん!
好きだって言いたい、いっぱい。
…そういうことを考えて、何回も聴き直しては鼻水と涙で喉がカラカラになるくらい泣いて、寝たら、ひどい状態で寝坊しました。
今回は恋人との話を書いたけど、これは仕事でも同じで、まずは相手を信じて、踏み出してみようと思うのです。
同じ場所から成長してないみたいに同じ自分の弱さになんどもぶつかるけど、たぶんその度にこうやって歌や言葉や本やぬくもりを通して助け上げられて、螺旋階段みたいにちょっとずつ上へ成長してくんだろうな。
そんなことを思う春の一日の夜でした。
ところで、その宇多田ヒカルさんのインタビューの乗っている「SWICH」すごくよかったです。
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それから、そのインタビューで紹介されてる萩原朔太郎「詩の原理」もちょっと難解でまだ途中だけど、すごくよかったです。(青空文庫で無料で読めるよ)
そして感極まっていろいろ宇多田ヒカル著作をぽちってしまった。またなにか感想を書くかもしれません。
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それじゃ、おやすみなさい!