5/27 【巡礼12日目 リエンド~サントニャ】 歩行距離 16,9km
昨日から、よしもとばななさんの小説を、ずっとアルベルゲのベッドで読んでる。
そして、なぜだか、ありえないくらいに、無茶苦茶に涙が出てくる。
それも、いろんなところで。
何がそうも触れるのかわからないけれど、何度もなんども、触れる、心の琴線に。
それは、過去のとても綺麗な思い出だったり、いま感じているどうしようもないさびしさだったり、ともだちみんなを恋しく思う気持ちであったり、昔の小さな小さな、よわっちくて引っ込み思案でおさげ髪の不器用な私自身であったりする。
とにかく、どの小説を読んでも、なにげない一文が、登場人物のせりふが、眼に浮かぶふとした一瞬の美しい風景が、胸に迫って、なにがなんだかわからないような涙が出てとまらない。
これはいったいなんなのだろう。
私はいま、なにをやっているんだろう。
この涙がどこからくるのかわからない。でも、すごくすごく、奥の方から、なにか胸の奥の底の方にある、昔からこびりつきすぎて黒くしか見えないかたまってしまったところ、そこからじゅわじゅわ一滴ずつ染み出してくるような感じがする。
そのかたまりがなんなのかわからない。表現できない。なのにこんなにも涙が出る。
朝は憂鬱だ。歩く外の世界は相変わらず曇り空で、時折冷たい雨が降る。
なにもかもがじめっとして、寒いし薄暗い。
牛のふんも、アスファルトの道にこぞって這い出しては踏まれて潰れてしまってる黒いナメクジたちも、その中身にたかるハエも。
まとわりつくような蒸し暑い空気も、村々に充満する湿ってくさったような臭いも、さびれてくずれかけた家も、その門からしつこく吠える犬たちも。
それから、容赦ない無力感におそわれる、速くて少し恐ろしい幹線道路の車の流れも。固いアスファルトの道も。暗く濁ってたいくつな灰色の海も、なまぐさいような潮の匂いも。すれ違う小綺麗に整えた人間たちの、私の姿にどこかびっくりしたようにじろじろ見てくる不躾な視線も。
ぜんぶぜんぶが憂鬱。
憂鬱なはずなのに、ふしぎだ。
涙はとてもあたたかい。
ベッドは白くて心地がいい。
目が合った瞬間、親切にてらいなく道を教えてくれる人びとのまなざしは、とてもやさしい。
小説を読んでいる窓辺の小さなガラス張りのテラスには、前後に揺れる肘掛け椅子がおいてあって、広場に面した二階のその建物から見える外の曇り空と、下のバルをゆきかう人たちと、歓声をあげてサッカー遊びをするこどもたち、過ぎていく傘の色、レストランから流れてくるラジオのスペイン語の歌を、なんとなく、聴いてた。眺めてた。
人はこうやって回復していくのかな。
なにから、回復しているのか、よくわからないけど、わたしは。
単純にあのひどかった風邪なのか、それとも、もっと根底にある私の、暗くてどうしようもなく寂しい孤独な部分なのか、わからないけど。
きっとそうなんだ。
どこからくるのかわからないこの切なくて温かい涙は、きっと、その寂しさからやってくる。
私がいま、異国のどんよりした空の下で感じている孤独は、きっと、私がずっとずっと子供の頃から、こんなに小さい頃から、抱えてきたものなのだ。
どんなに明るく振舞ってもどこか影を落とすそれは、今、私の中で猛威をふるっている。それが全開に、おもてにでている。出ずにはいられなくて、それが人のぬくもりを遠ざける。振り払う。
誰とも話したくないしひとりでいたいし、かかわりたくないのに、そのくせ誰かにかまってほしくてしかたがないのだ。
だから涙が出るのだ。うまくいえないけれど。
わからない。
どうしようもなく薄暗くて湿っぽくて陰気でなまぐさいような日々の中に、たまにあの青空と天国のような草原や西日のビーチが現れる。
薄暗い中に、ごくたまに、はかなくまぶしい光を見るような毎日。
それが、わたしに何かを、思い出させようと、なにかをのりこえさせようと、なにかに向き合わせようと、しているのかもしれない。
きっともう、向き合っているのかもしれない。
負けそうになりながら、戦う。戦っているのかな。今も。
そして、小説を読んで思う。
わたしを助けるのはきっと、友達みんなの笑顔だろう。大好きな、愛する人たちの。
恋しいな。会いたいな。
ひとりでいることがこんなにも寂しい自分がいるのだ。
あんなに一人が好きだったくせにだ。
そしてそれはきっと、成長、なのだと思う。
孤独を知って、愛を知る。
そういうことか?
ごめんね、まだぜんぜんよくわからない。
そんな、まだ抽象的でしかないことを、断片的に、感じている今日です。
もうすこし、日記らしいことを。
今日も、アルベルゲに掃除のおばさんがやってきて追い出されるぎりぎりまでそこにいた。
どんより曇った空の下、車がスピードを出して通り抜ける道の脇を歩き、山を越え、じめじめした少し気味の悪いような村をいくつか越えて、再び海に出た。
弓なりの三日月のような浜辺に建つふしぎな、ラレド、という街。
長い長い、果てしなく感じるような、歩いても歩いてもたどり着かない浜辺の道をえんえんと歩いた。
砂は細かくて、こまかく波の打ち寄せる地面は固く締まり歩きやすい。
たまに、かわいい貝殻がおちている。
むこうの山から暗い雲が迫ってきてたまに雨がぱらつく。
犬の散歩の人。ジョギングの人。曇り空の月曜の朝、夫婦で散歩の人たち。
自販機で買ったコーラと、昨日のあまりもののチョコレートビスケットを食べたり飲んだりしながらふらふら、歩きました。
永遠に続きそうなその浜辺の単調な道を果てまでゆくと、船着き場があり、向こう岸に渡れる船があった。
乗り込むと、船の上はとても風がつめたい。ダウンに、ウインドブレーカーを着込んでいても肌寒い。
なんだか、まるで、昔よく遊んだポケモンのゲームの世界みたいだなあと思う。浜を歩き、船に乗って、新しい街へ。ポケモンのいないポケモンだ。
もしポケモンがこの世界に、この旅にもいてくれたら、仲間を増やし毎日を共にできたらどんなにいいかしらと妄想した。
たどりついたサントニャの街は、陸続きのはずなのに、船で渡ってきたせいかまるで島のようなかんじがする。
船で陸から陸へ。ちょっと、イタリアのベネチアみたいだ。
ちょうどお昼時で、こんな天気なのに観光客や、地元の人でにぎわう街を歩いていくと広場に出た。選挙が近いらしく若い候補者らしき人が小さな人だかりの向こうで演説をしている。
そんな広場にホタテのマークのアルベルゲの扉を見つけて、その少し前に立ち尽くしていると、主人らしき優しそうなおじいさんが手招きをしてくれた。
そう、そうしてたどり着いたのが、今日の宿。
先客はまだ誰もおらず、風邪だったからしばらくひかえていた久しぶりにゆっくりのシャワー、あたたかくてほっとする。
シャワーを浴びてかんたんな昼食をとったら、ガラス張りの明るくて白いバルコニーがとても気持ちいいのをひとりじめ。
そして、ゆっくりと、午後中ずっと、誰ともなにも話さず小説を読んだ。
たくさん涙が出た。治りかけの風邪がもたらす鼻水や痰もやたら出た。
なにかが、修復されてってるのだろうか?溶かされていってるのだろうか?ゆっくりと。
変な毎日。
すごくへんな毎日です。
楽しいのとも違うし、幸せとかいうのでもないし、涙ばかり出てくるし、でもなんだか、ふしぎに穏やかな。
そんな感じ。
小説をずっと読んでいたからでしょう。
いつにもまして、抽象的な、そんな今日の日記でした。
それじゃ、おやすみなさい。
たまゆりでした!
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