中山道

春匂い立つ木曽路。命を賭けた旅人に想いを馳せる。【中山道歩き6日目・須原〜福島】

 

みなさま、こんにちは。たまゆりです!

前回の旅から、3ヶ月も時があいてしまいましたが、先日、ようやく再び中山道歩きの旅をしてまいりました。

歩いていなかった3ヶ月の間、自分自身の中でもいろいろな心境や価値観の変化があって…
なんだかいままでとはちょっと違う形で、新しい旅の楽しみ方や、目的を、見出しているような感じがします。

というわけで、今回の旅レポいってみよう!

 


2021年4月6日
中山道歩き6日目

須原宿〜上松宿〜福島宿(泊)
歩行距離:24.06km

 

春の朝、犬山の町を発つ


前回の旅と同じ、あさ6時ちょうどの電車に乗って犬山の町を発つ。
前回この電車に乗ったのは真冬、それもちょうど冬至のすぐ近くだった。

あのときは、朝だというのにまだ真夜中みたいに真っ暗で、自転車を漕いでいると、耳の感覚がなくなりそうなほど冷たかったのを覚えてる。

 

季節はもう、すっかり春。

ぼんやりとした薄霞が川や向こうの山にかかって、湿度のあるふんわりと淡い空気が首の横をすりぬけていく。

 

車窓越しの春を横目に。

地元の犬山から、今回のあるき旅のスタート地である須原宿までは、JR中央本線の普通列車にゆられて約2時間半。

前に来た時は、車窓越しに凍りつきそうな山々がきりりとそびえていたけれど。

今日は、目で追い切れないほどそこかしこに、それはもう色とりどりの花たちが咲いていて、いつまで窓の外を見ていても飽きない。

いつもよりかなり早起きだったから、本当はうたたねでもしたかったんだけど…
そんな暇もないくらい、車窓からの春景色が、目に楽しい。

 

電車の中にも春が咲く。

中津川駅から乗り換えた松本行きの普通列車はワンマン運行の2両編成。

乗客はまばらだけれど、登山やハイキングにでも向かいそうな、すごく元気な年配のグループの人たちなんかもいたりして、ああなんだかこういうのって久しぶりだなぁと思う。

「あの山、ほんとにきれいやねぇ。中央アルプスやろか」
「たぶん、そうですね。木曽駒ヶ岳かなぁ」
「おねえちゃん、ひとり旅?」
「はい、中山道を歩きます。みなさんはどちらへ?」
「私らは松本へ旅行に行くんよ。ひとりでえらいなあ!どこまで行くん?」

…車内での、こんな何気ない初対面の旅人同士の会話もどこか懐かしくてうれしい。

人間も、窓の外の自然も、めいっぱい、春のあたたかい陽気にのびのびと羽を伸ばしているような感じがして、とてもうれしくなった。

 

私の住む犬山の街では、もうすっかり桜は散ってしまっていたけど、山深いここ木曽路では、いまがまさに花の真っ盛り。

電車を降りた須原宿では、桃色、紅色、白、黄色、たくさんの花たちが出迎えてくれた。

 

清水あふれる須原宿

須原宿といえば、前回訪れた時にも見た「水舟」がシンボルだ。

サワラの大木をくりぬいて作った船や桶が置かれていて、そこにこんこんと湧き出る清水が、絶え間なく注がれている。

そんな「水舟」がいたるところにあるので、この宿場町を歩いていると、常に耳に水音が絶えない。

 

ちょろちょろちょろ…とまるで鈴でも転がすような優しい音色が、なんとも心をほっとさせてくれる。

こんな優しげな音を四六時中、耳に入れながら暮らしていたら、きっと心を荒げることも少ないんじゃないかしら…なんて思う。

 

山里の豊かな水と


流れ出る清水には、満開の八重桜の枝がそのまま生けられている。
なんて風流、そしてなんてぜいたくな景色だろう!

水も、咲き誇る花も、惜しげもなく一切もったいぶることもなく、ごく自然にそこに飾られていて、山里ならではの豊かな春を感じた気がした。

地酒「木曽のかけはし」を醸す、西尾酒造の家人であるおばあちゃんは、家の目の前の水舟に緑色のじょうろで水を汲みに来ていた。花の水やりに使うらしい。

この水は、地元の方の生活にもしっかりと根付いているようだ。

そのまま飲んでもいいよと教えてもらったので、私も持ってきたボトルに水を注いで、飲んでみた。

やわらかくて新鮮な水は、とてもおいしかった。

この宿場町の清水は、古くからここを通る旅人の喉を潤してきたのだという。

現代のように清涼飲料水もない時代、たくさん歩いた後に飲むこの清水は、旅人にとって極上のおいしさだったのだろうなと、想像してしまう。

 

木の国、木曽路をゆく。


さて、須原宿をあとにして、次なる宿場町・上松宿に向かってみよう。

道の上ではたくさんの桜の木に出会うのだけれど、あまり見たことがない形のものも多い。

ふだん私が生活している圏内で見る桜の木といえば、5枚の花びらに淡い淡いピンク色をしたソメイヨシノがほとんど。

でもここ木曽路では、むしろソメイヨシノのほうが珍しくて、もっと花弁が多かったり、花が大ぶりだったり小ぶりだったり、色も濃い紅色から鮮やかなピンクまで、ほんとうにさまざまな種類の桜を見た。

 

木曽路は「木の国」というだけあって、木々の植生も豊かなのかなぁ、なんて考えたりする。

そんな鮮やかな桜の色もあいまって、歩きながら目に入ってくる景色は、とても明るくて彩度が高い。

前回訪れたのが真冬だっただけに、余計にその時の冷たいモノトーンの景色が頭の中で思い出され、こんなにも春の山の景色は豊かなのかと、感激させられる。

冬は冬で、もちろん、張り詰めたように鋭くて透明な空気や、青みがかったコントラストがとても綺麗だったのだけれど。

水音と風の音と鳥の声と。

中山道の旧道は、国道19号線に沿ったり、交差したりしながら続いている。

このあたりの国道は、Wikipediaによると「木曽高速」なんていう通称もあるほど、信号が少ない。
そのため、そんなに遠くない場所に中央道高速があるにもかかわらず、いまだにこの下道を利用する車は多い。

歩道はほとんどの区間でしっかり整備されているので問題はないけれど、運送会社のトラックも多いため、雨の日には気をつけたほうがよさそうだ。

 

道中、たまに手前の緑の山並みの向こうに、雪を被った青く鋭い山容が姿を表す。
また、ずっと木曽川の流れに沿って道が続くので、碧緑色の流れも目に入ってくる。

耳には水音と、風の音と、さまざまに個性的な鳥の声と。
たまにJRの線路を走り抜けていく電車の音と。

なんとも長閑で気持ちの良い旅。この季節にこられてよかった。

 

浦島太郎伝説の地、寝覚の床

見にくいけど、蕎麦屋さんのパンフレットより「寝覚の床」

てくてくと気持ちの良い中を歩いていくと、木曽八景として古くからの名所であり、現在も観光地として名高い「寝覚の床」の付近に到着した。

時間の都合で寝覚の床には立ち寄れなかったけれど、ここは、江戸時代から全国的に有名だった景勝地で、白い花崗岩の巨岩の間を、青い水の流れがたゆたう、どこか神秘的な自然の造形美を楽しめるところだ。

伝承では、竜宮城から帰った浦島太郎が、旅の末に辿り着き、玉手箱を開いて長い夢から覚め、そののち終の住処とした地だとも言われている。
…だから寝覚の床?

 

文人が愛した超老舗蕎麦屋

さて、この寝覚の床の近くにあるのが、350余年もの長い歴史を誇る、日本で二番目に古いという蕎麦屋「越前屋」だ。

ちょうど時間も13時をまわり、すっかりお腹が空いていたので、迷わずお店に入る。

 

ここには、江戸時代より文人・詩人・画家たちも数多く訪れている。

店内には、浮世絵師の歌麿がこの店を描いた絵が飾られていたり、「東海道中膝栗毛」の作者として知られる十返舎一九の歌も残されている。

 

ここで十返舎一九が詠んだ歌は

「そば白く やくみは青く
入れものは 赤いせいろに 黄なる黒文字」

まさに、江戸時代に詠まれた歌の通りの色合いで供される、目にも美しいおそば。
のどごしがつめたくて、疲れた体にするすると、しみこんでいくかのようなおいしさでした。

 

木曽檜の里、上松宿

蕎麦屋さんをあとにして、しばらく歩いたら、上松宿に到着。

今ではひっそりと静かに、風情をとどめる家並みがいくらか残るのみだけれど、かつては旅籠が35軒もあるかなり規模の大きい宿場町だったとのこと。

 

というのも、ここは尾張藩が仕切る木材の重要な集積の拠点として、運搬に携わる人間や、きこり、役人など、多くの人が集まる場所だったから。

現在のようにトラックなどない時代には、川を利用して下流の都市部へと木材を運んだため、川が近く、ある程度開けたこの上松は、地理的にちょうどよかったのだと思われる。

 

私の住む犬山とこの地は木曽川でつながっており、この地に集められた木材は、川の流れがゆるやかになる犬山の湊で再び集められ、組み直され、さらに下流の名古屋方面へと運ばれていった。
なにか、ご縁を感じずにはいられない場所だ。

 

 

傾く太陽、福島宿を目指す


さて、上松宿をあとにして、次なる本日の目的地、福島宿へと向かう。

上松宿から先は国道19号を外れ、舗装された綺麗な道ではあるものの、車の往来が少ない旧道を行く。
車が通らない分、より川の音や、山々を抜けていく風の音がよく聞こえてくる。

 

谷間に入ったのと、もう3時を回り少し日もかたむきはじめて、少し薄暗く肌寒くなってきた。
こんなとき、ちょっと心細くなる。
でも後から思い返すと、このくらいの心細くてドキドキする感じがあったほうが、ちょっとワクワクするので不思議だ。

 

随一の難所、木曽のかけはし


左右にすぐ山が迫る川幅の狭い場所に、小さな赤い橋がかかっている。

ここは「木曽のかけはし」と呼ばれる場所で、中山道の中でも三大難所と呼ばれた地だ。

 


現在ではゆるやかな緑色をたたえる木曽川の水だが、ダムなどの治水工事が施される以前の時代には、もっと川幅が狭く、流れも非常に急で危険だったという。

とくに崖が切り立っていたこのあたりは、江戸時代当時の技術では道を整備するのが困難だったため、丸太と縄で編んだ心細い木道の上を通らなくてはならなかった。

そのため、かけはしごと川に流されたり、崩落したり、火事で焼けたりして、ここで命を落とす人も少なくはなかったという。

 

命懸けの旅人たち。


江戸時代にここを通ったかの俳人・松尾芭蕉も、こんな句を詠んでいる。

「かけはしや 命をからむ 蔦かずら」

 


現代でこそ「ちょっと心細いな、でもちょっとスリルがあるくらいがワクワクするよね〜」なんてのんきなことを言っていられるけれども、当時の人にとって旅とは、命懸けのことだったのだ。

松尾芭蕉も、出立前にすべての家財を処分し、野ざらしになって死ぬことすら覚悟して、旅に出ている。

それを思えば、私のような未熟な人間でも、安心して旅ができる現代のこの環境はとてもありがたい。生まれた時代が違えば、いくら憧れても、こんなふうに行きたい場所へと自由に旅することは不可能だっただろう。

 

そう思うと同時に、そんな過酷な環境でも旅を続けた当時の人々に、尊敬を感じてやまない。

とくに、みずからの表現活動のために旅をした芭蕉のような詩人の、旅への想いはどれほど強かったのだろう。

厳しい旅の道のり、だからこそ研ぎ澄まされていく感性から生み出されたのであろう、彼の言葉を読むたびに、考えてしまう。

今の文明技術に慣れ切って甘やかされた自分が、彼らのたどった道の痕跡をたどり歩く意味とはなんだろう。

それでもきっと、今の自分なりに、歩くことの意味があるのだと思う。

いったい私はこの旅から、何を学び、何を感じ、何を伝えていけるんだろう。

そんなことを考えながら、福島宿へ向けて歩を早めたのだった。

 

歴史ある旅館で疲れを癒す。


そんなこんなで、感慨にふけりつつ、暮れてくる日に焦りつつも歩を進め、今回の旅の宿である福島宿へと到着。

今日のお宿は、この木曽福島の中でもいちばんの老舗「木曽路の宿 いわや」さん。

ここは、宮家の人々や、文人著名人も数多く泊まってきたという由緒あるお宿。
ちょっと緊張しながらも、とってもおいしいお料理に舌鼓を打ち、ヒノキのお風呂につかり、久々の旅の疲れをゆっくり癒しました。

 

さて。
すっかり記事も長くなってまいりましたので、続きはまた次回。

といっても、翌日は、じつはほとんど歩いていません(笑)

本当は、翌日ももう20kmほど歩いて、難所の鳥居峠を越えて奈良井宿まで歩を進める予定でしたが…。

3ヶ月ぶりの歩き旅だったからか、動画の撮影に夢中になりすぎたのか(笑)
1日目ですっかりくたびれてしまったため、翌日はゆっくり起きて、無理して先を急ぐことはせず、福島宿の中をゆっくり見て回りました。

ですので、次回は福島宿についてと、よければもう少し、私の旅への心境の変化についてのことなども、読んでいただけたら良いなと思います。

 

それでは、長々とお付き合いくださりありがとうございました。
また次回!

 

 

ラジオ代わりに旅の動画もどうぞ

今回から、旅の様子を動画に撮ろう!ということで、宿場町のようすや歩く道の様子などをまとめて、ナレーションを付けた動画を作っています。

踏み込んだことをじっくりお話しできるブログはもちろんですが、さらっと雰囲気を味わったり流し見して旅気分を味わえるものとして、楽しんでいただけたら嬉しいです。
ナレーションや撮影技術の拙さは目立ちますが……今後精進しますので、どうぞ大目に見てやっていただければと思います(笑)

Youtubeで視聴できるので、ぜひ気軽にごらんになってみてください。

 

たまゆりでした!

 

 

 

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